別府温泉 ゆかり文学 【ココミル】

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別府温泉「ゆかり文学」
ゆかり文学

別府温泉とその文学を語るには「流川(ながれがわ)文学」は外すことの出来ないキーワードです。
なぜなら、別府温泉は「流川文学」の発祥の地と言われているからです。

その中心となる人物は作家「織田作之助」「徳田秋声」などです。
「流川文学」と聞いてもそれって何?と思われる人も少なくないでしょう。

「流川文学」発祥の地

旧別府港から西に伸びる流川通りを文人達が小説の舞台にしたことから始まります。
昭和初期の流川通りは「別府の道頓堀」とも呼ばれるほど栄えた場所と言われ当時の流行などの最先端に近い文化や生活があったようです。
「別府の道頓堀」・・・その響きに、懐かしい昭和を感じませんか?
酒場でこれからの時代を夢見て語る人たちやダンスホールで踊る人たち。ちょっと裏道に入れば遊郭があったりと、人々が集まり繰り広げられる人間模様がそこにはありました。
「流川文学」はそんな時代が生き生きと語られた文学なのです。
今でも大分県別府市楠町の橘町二区公民館・町営 寿温泉の横に「流川文学」発祥の地 碑があります。

作家 織田作之助という人
作家 織田作之助という人

織田作之助(おだ さくのすけ)、通称 織田作(おださく)大正十二年に大阪に生まれ、13歳になるまで父方の姓を名乗ることができないまま子供時代を過ごしました。第三高等学校(新制京都大学教養部の前身)文科甲類の卒業試験中に吐血し、白浜温泉で療養をしなければなりませんでした。復学した後、病気療養で気がそがれたせいか同校を退学しています。

作家活動を開始した頃は劇作家志望でしたが、スタンダールに影響を受けて小説を書くようになりました。代表作『夫婦善哉』(昭和15年)は昭和9年に大阪から別府にやってきた実姉の山市千代夫妻がモデルになっていると言われています。
千代夫妻は、織田作之助の学費の援助などもしていました。また、別府では流川通りで化粧品店、後に割烹を開き、織田作之助は数回にわたり別府を訪れています。『夫婦善哉』の中では山市千代夫妻が経営した割烹「文楽荘」や「夫婦善哉」「バー・タデ」なども書かれています。
織田作之助の「流川文学」別府三部作は『雪の夜』『湯の町』『怖るべき女』と言われています。『怖るべき女』の中では、桟橋前ブラジル・ビリケン・なの家館・豊玉館などが出てきます。小説の舞台をみつけてみるのも面白そうですね。
2007年には鹿児島県で『続・夫婦善哉』が発見され、小説は大阪から別府へ移ってからの山市千代夫妻の夫婦愛を描いています。

葉門の四天王 徳田秋声(とくだ しゅうせい)

明治4年12月23日(旧暦)に金沢市に生まれ。同じ小学校の一学年下には泉鏡花がいました、後に尾崎紅葉に師事し、泉鏡花、小栗風葉、柳川春葉らとともに「葉門の四天王」と呼ばれています。
明治41年に書かれている代表作『新世界』では庶民の生活に焦点を当てています。自然主義文学の担い手といわれるような、客観描写の中に人の生き様を大河ロマンのように書いているのが特徴です。

小説『西の旅』の中で徳田秋声は別府の名所にも上げられる「不老泉」のことを書いています。「不老泉」を舞台に小説などを書いている作家は徳田秋声の他にもいます、そこに繰り広げられる人々の生き様の中には作家の心をくすぐるような人間のロマンが見え隠れしていたのかも知れませんね。この他にも九州の浅草と言われた松原公園、別府の映画館の始まりとなった松濤館なども書かれています。当時としては、ハイカラな時代の流行もその小説の中に盛り込んでいたようです。

ユーモア作家 奥野他見男(おくの たみお)

奥野他見男は「別府に怪しいものがある。家族風呂だ。」という書き出しで大正10年に落成した不老泉のことを『別府夜話』(大正14年)に書いています。その描写の中には、本当かウソかわからない家族風呂の話があります。
家族風呂の中にふすまに鍵のかかる座敷があったとか・・・そこで繰り広げられる愛憎劇は家族以外の秘密の関係だったりという話が書かれています。不老泉で過ごす客の様子も興味深く描写されています。
『別府夜話』(昭和3年発行「奥野他見男全集」)では不老泉の滝湯風景が挿絵で描かれていたりと当時としてはそのユニークさも人々の話題になったのかもしれません。

また、不老泉砂湯で撮られた宣伝用のような女性が並んで砂湯に浸かっている写真やマッサージを受けている客の写真などが、絵葉書に残されています。

別府の名所やその文化、人々の生活は絵葉書などで沢山残っています。
小説の舞台の今昔を尋ねてみても楽しいですね。

詩人 ポール・クローデル(1868〜1955年)の願い?

大正10年(1921)から6年間、駐日大使を務めたフランスの外交官であり、詩人のポール・クローデルは大正13年と15年に別府を訪れています。油屋熊八は大正15年にポール・クローデルをその当時大分に2台しかなかったという乗用車(T型フォード)に乗せて別府の観光案内をしています。地獄巡りや少し足を伸ばして湯布院、耶馬渓なども案内したそうです。
その折にポール・クローデルは油屋熊八をはじめとした別府市民の歓迎に感動して詩を詠みました。ポール・クローデルのまた別府に来たいと願う気持ちも伝わってきますね。

別府に われ再び訪れん 温かきいで湯に 温かき人の心 わがいのち よみがえる 温かきいで湯 なごやけき人の心 われ再び 別府にきたらん ポール・クローデル

詩碑は昭和43年9月に建てられ、現在は北浜公園の中にあるそうです。

別府を訪れたといわれる時期と文人・画人・歌人・俳人

■別府温泉を訪れた文人

川端康成 昭和27年10月20日の午後別府
三島由紀夫 昭和33年ごろ新婚旅行で地獄めぐりをしている
菊池幽芳 別府宣伝のため明治40年10月に招かれる

■別府温泉を訪れた画人

竹久夢二 大正7年

■別府温泉を訪れた歌人

与謝野晶子 (1878〜1942)「この世なる豊の別府の海地獄瑠璃の波より白雲ぞ湧く」
斎藤茂吉 「あたたかき海辺の街は春菊を 既に売りありく霞は遠し 」
「鳥の音も海にしば鳴く港町 湯出ずる町を 二たび過ぎつ」

■別府温泉を訪れた俳人

高濱虚子 (1874〜1959)昭和27年初秋に別府再訪

高浜虚子に師事した高野素十の詠んだ「海地獄美し春の潮より」や昭和27年に別府再訪した時の「自ら早紅葉したる池畔かな」の句碑があります。

別府の歌碑や記念碑
油屋熊八の像
句碑
・高浜虚子親子の句碑 [城島後楽園バス停前]
・小池森閑の句碑 [朝見八幡神社境内]
・岡嶋田比良の句碑 [北浜公園]

歌碑
・田吹 繁子の歌碑 [天満神社境内]
・柳原白蓮の歌碑 [青山町]
・九条武子の歌碑 [上人公園]
・鶴見英之の歌碑 [上人公園]

芭蕉塚(句碑 しゃれの句碑も含む)めぐり
・西法寺 「ふる池や カハ津 飛びこ無 水の 於と」
・長松寺 「むすぶより 早や歯に ひびく清水かな」
・長覚寺 「月かげや 四門四宗 みなひとつ」
・海門寺 「作り木の 庭を いさむる 時雨かな」

その他 文化人の記念碑
・竹久夢二・彦乃の療養の地 [千代町]
・夢二の別府訪問 [大正7年]
・歌人 丸山待子生誕の地
・歌人 浅利良道 生誕の地
伊能忠敬測量の地記念 [流川四丁目角]
・油屋熊八の碑 [別府公園]
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