別府温泉 開湯秘話 【ココミル】

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別府温泉「開湯秘話」
開湯秘話

別府温泉は、「別府八湯(べっぷはっとう)」と呼ばれている8つの温泉郷の総称を指します。

別府八湯は、別府(べっぷ)・鉄輪(かんなわ)・観海寺(かんかいじ)・明礬(みょうばん)・亀川(かめがわ)・柴石(しばせき)・堀田(ほりた)・浜脇(はまわき)と呼ばれる温泉郷で構成されています。

そこで今回は、8つの温泉郷それぞれの開湯エピソードを紹介します。

別府八湯各温泉郷の開湯エピソード
温泉番付

別府温泉

古くは、伊予国風土記に「速見の湯」として記され、元寇の役で傷を負った兵士が保養に来たなど、保養地として利用されてきました。
そして別府温泉が、本格的に注目を集めるようになったのは江戸時代のことであり、江戸時代後期に作成された温泉番付にも、別府温泉の名前が登場するほど広く名を知られた温泉地でした。
そして明治から昭和にかけて泉源数、温泉施設、温泉宿が増加し、次第に市街地が拡大するとともに別府八湯の中心となりました。
※温泉番付:別府温泉は西の前頭

鉄輪温泉

鎌倉時代「玖倍理湯の井」と言われ、広大な地獄地帯であったこの地を一遍が火男火売神社の祭神の導きで整備したとされ、現在も、一遍上人が創設したとされる蒸し湯跡が存在します。また、蒸し湯の近くにある温泉山永福寺では、一遍上人の功績をたたえ、毎年一遍像を渋の湯などで洗い清める「湯あみ法要」が行われています。
また、温泉街の山手の坂を登った先には温泉神社があり、古くから日常生活と温泉が密接な関係にあったことが伺えます。

観海寺温泉

船原山の東麓斜面に湧くこの湯は、鎌倉時代に発見されました。
海抜150mという高台にあることから、別府八湯の中でも眺めがとくに美しいとされ、江戸時代の豊後国志に「観海寺に行くには交通は極めて不便だが、景勝は壮観なので浴客が盛んに訪れている」と記されるほど、人気の高い湯治場でした。
昭和6年に大火にあいましたが、その後復興し、現在はリゾート温泉地としても人気の温泉郷です。

明礬温泉

江戸時代、この地は質の高い明礬の採取地として有名で、採掘量も全国一を誇りました。そして明礬温泉は、採取事業の隆盛とともに、この地で働く人々の湯治場として発展しました。ちなみに現在、別府明礬温泉の湯の花製造技術は、国の重要無形民俗文化財に指定され、明礬温泉という名称は、現在もこの地の名産である明礬が由来となっています。

亀川温泉

海岸に豊富な温泉が湧き出す亀山温泉は、江戸時代の豊国紀行に「里屋に温泉有り、塩湯なり里屋村を又亀川村という」という記載が残されています。また当時は別府の北の玄関でもあったこの地は、豊前小倉への交通の基点でもあることから、旅人たちの湯治場として栄えました。大正から昭和時代にかけて、街には芝居小屋・鍛冶屋・雑貨屋などが並び、多くの人で賑わいをみせました。
現在も、一遍上人が上陸したといわれる上人ヶ浜公園の一角には、市営の別府海浜砂湯が有り、周辺には温泉を活用した病院や療養施設、保養所が存在します。

柴石温泉

江戸時代に柴の化石が見つかったことが、「柴石温泉」という名称の由来となっています。
平安時代にはすでに開湯しており、895年には醍醐天皇、1044年には後冷泉天皇が病気治療のためご湯治されたという言い伝えが残っています。

堀田温泉

堀田温泉のある地は、古くから湯布院や日田へ通じる交通の要所でした。江戸時代に開湯した当時は立石の湯という名前でしたが、後に堀田温泉と呼ばれるようになりました。
豊富な湯量の堀田温泉は、湯治場としてだけでなく、湯布院や日田を目指す旅人にとって、長旅の疲れを癒す憩いの場としても人気を誇りました。

浜脇温泉

別府八湯の中で、最も古い歴史を誇る温泉郷です。浜から温泉が湧き出す様子から「浜わき」という地名の由来とされています。1196年には、この地に豊前・豊後の守護職である大友能直公が八幡朝見神社(別名:朝見八幡)が創設、江戸時代には港町・温泉町・門前町として陸海交通の要衝で急速に発展。明治から大正時代にかけては、花街としても賑わいをみせました。
浜脇には古くから湯治に利用されてきた東温泉(東の湯、弦月泉)と西温泉(西の湯・清華泉)がありましたが、昭和初期にこの2湯が合併して「浜脇温泉」が建設され、現在に至ります。

一遍上人伝説と豊後の国

一遍上人は、1239年に伊予の国を支配する守護職であった河野家に生まれたものの、後に出家して、1274年に念仏の教えを説く旅に出たとされています。一遍は、国内各地に訪問の伝説がありますが、鉄輪温泉もその一つと言われています。
実際は、一遍上人が鉄輪を訪れた記録は残っていないものの、当時豊後に阿弥陀信仰の基盤があることから、一遍上人が出家後、最初の訪問地として豊後の国を選んだと言われています。

一遍上人と蒸し風呂の関係
一遍上人と蒸し風呂の関係

昔は、温泉というとサウナのような蒸し湯の方式が主流でした。また当時は、殺生を行った報いで病気になると考えられていため、南無阿弥陀仏の称号を唱えながら蒸し湯に入り、病気を治す手段として用いられていました。
一遍上人が訪れたとされる鉄輪温泉の温泉山永福寺には、『鉄輪温泉由来絵とき法話』という絵巻が残されています。この話では、一遍上人が、湯けむり湧く鉄輪地獄を埋め立てようとしたものの、どうしても一カ所だけ埋められない地獄について「ここは埋めなくてもよい。蒸し風呂を築け」と鶴見権現の神が教えた、と伝えています。
またこの話では、「蒸し風呂に入って南無阿弥陀仏を唱えれば、いかなる業病難病も癒えるであろう」と、蒸し風呂がすべての病を癒すと説いたことが記されています。

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