別府温泉 歴史豆知識 【ココミル】

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別府温泉「歴史豆知識」
少彦名の命の病を癒した湯

別府温泉の歴史は大変古く、奈良時代には、すでに別府温泉に関して記されている書物がいくつもあります。「伊予国風土記」には、「伊予の国(愛媛県)で、少彦名命(すくなひこなのみこと)が病で倒れたことに嘆き悲しんだ大国主命(おおくにぬしのみこと)が、豊後水道の海底に長いパイプを敷いて別府の温泉を道後へ運び、少彦名の命を入浴させたところ病気が回復した」と記されています。また、同じく奈良時代に編纂された「豊後風土記」には、血の池地獄について「赤地獄」という名で記されています。

蒙古襲来で負った傷を癒した別府の湯
蒙古襲来

1268年(文永5年)、高麗王書状(蒙古国書)が日本に届きました。蒙古国書は、表向きは日蒙が平和的な通交を行うことを要求していましたが、末尾には「兵を用うるに至る、それ孰(いづく)んぞ好むところならん」と書かれていたことから、「蒙古の侵攻は必至である」と受け取った鎌倉幕府は、これを黙殺しました。
その後、日本は、1274年と1281年に蒙古襲来を受けることになりました。これが元寇の役です。この2度の戦いで、多くの武将や兵士が負傷したり命を落としました。そこで、大友頼泰が傷を負った武士を癒すため、別府温泉をはじめ、鉄輪温泉、浜脇温泉などに療養所を作ったという記録が残されています。こうしたことから、別府の湯は、古くから人々の傷を癒す湯治場として、重宝されていたことが伺えます。

大友頼泰 (おおともよりやす)とは?

大友頼泰(1222−1300)は、鎌倉時代後半に活躍した武将です。鎌倉及び京都に在勤した後に、豊後守護職鎮西一方奉行職を相伝しました。その後、豊後守護・鎮西奉行として、文永の役と弘安の役と2回の元寇に際して活躍したことでも知られています。

文永の役(1274年)では、豊後御家人を率いて、博多西方海岸で戦いました。その後、大友氏は豊後に移住し、弘安の役(1281年)で豊後の武士を率いて合戦を繰り広げました。
また、戦後の恩賞地をめぐる争いの解決法として、「豊後国図田帳」を作成し鎌倉幕府に提出しました。この「豊後国図田帳」は、当時の豊後所領研究を行う上で、現在も貴重な史料とされています。

江戸時代には全国有数の温泉場に
江戸時代には全国有数の温泉場に

江戸時代になると、別府温泉は、全国有数の温泉場として脚光を集めるようになりました。
儒学者であり医学者でもある貝原益軒が残した「豊国紀行」には、「別府は石垣村の南にあり。民家百軒ばかり、民家の宅中に温泉十ヶ所あり、何れもきよし、庄屋の宅中にあるは殊にいさぎよし」「町中に川あり、東に流る、この川に温泉湧出す」などと記されています。

また18世紀初頭に寺島良安が編纂した「和漢三才図絵」には、「血の池地獄」や「海地獄」に関する記述などもみられます。

貝原益軒(かいばら えきけん)とは?

貝原益軒(1630−1714)は、江戸時代の第3代将軍徳川家光の時代に生まれました。朱子学派の儒者であり医学者であった益軒は、藩主や藩士に儒書を講義するだけでなく、朝鮮通信使の応対なども行っていました。また、自然科学についても造形が深く、自宅で花や野菜を栽培した経験に基づき「花譜、菜譜」を刊行したほか、農学者宮崎安貞にも中国の農書について講義を行うなどしていました。
貝原益軒の代表作としては「養生訓」「和俗童子訓」「大和本草」「筑前国続風土記」「花譜、菜譜」などがあり、全部で60部270余巻に及ぶ膨大な書物を残しました。

文豪や文化人などを魅了した別府温泉
文豪や文化人などを魅了した別府温泉

明治時代になると、別府湾の築港、日豊本線別大電車の開通などの交通機関の整備に加え、新たな掘削技術が進みました。これによって別府温泉はさらに発展し、泉源数、温泉施設・温泉宿とも一気に増加しました。明治の後期には、すでに約1000孔の掘削井があったといわれています。

また、別府温泉は、多くの文豪をはじめ文化人や財界人などにも愛されてきました。その中でも与謝野晶子は、夫である歌人の与謝野鉄幹とともに、何回も別府の地に足を運び、別府の地を詠んだ歌をいくつも残しました。また、高浜虚子も「海地獄」や「血の池地獄」が魅せる神秘的な色彩を詠んだ作品を残しています。

貴重な建造物が歴史を伝え続ける

大正から昭和時代にかけて、温泉施設をはじめ多数の近代建築が建てられるとともに市街地が拡大され、別府温泉は別府八湯の中心となりました。当時の建築物の一部は、開発や老朽化により姿を消したものもありますが、登録有形文化財に指定されている別府市営温泉の「竹瓦温泉」をはじめ、近代化産業遺産に指定されている「竹瓦小路木造アーケード」など、現在も当時の姿をそのまま残している建物も存在します。別府温泉は、国内最大級の源泉と湯量を誇る温泉の宝庫であるだけでなく、現在に歴史を伝える歴史的遺産の宝庫でもあるのです。

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