伊豆 修善寺温泉〜ゆかりの文学〜 【ココミル】

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修善寺温泉「ゆかり文学」
ゆかり文学

修善寺から生まれた文学も多いことをご存知ですか?

かの夏目漱石や岡本綺堂、井伏鱒二らも修善寺にゆかりのある文豪なのです。 温泉や自然、風情のある修善寺に当時の文豪たちも魅せられたのでしょう。

修善寺とゆかりのある文学に触れながら、修善寺の魅力を感じてみませんか。

1つのお面から生まれた『修善寺物語』

岡本綺堂(おかもときどう)の戯曲で、修善寺を舞台にした最大の傑作と言われている『修善寺物語』。
修善寺に住む面作師夜叉王と源頼家(みなもとのよりいえ)の最後を題材にした話です。

『修善寺物語』明治41年(1908年)岡本綺堂が修善寺を訪れた際、作者不明の古いお面をみて創作したとされています。
明治44年(1911年)東京明治座で二代目市川左團次(いちかわさだんじ)の夜叉王を主役に初演されました。歌舞伎作品としては珍しく各国語に翻訳され、昭和2年(1927年)にはパリでフランス人俳優によって上演されました。 修禅寺に残る古面の興感と、金剛右京の能面にまつわる伝説に取材したといわれる新歌舞伎の代表的作品の一つとなっています。

また修善寺に関する作品は戯曲『修善寺物語』の他にも、随筆『春の修善寺』『秋の修善寺』があります。

夏目漱石と修善寺の大患
夏目漱石と修善寺の大患

修善寺に夏目漱石(なつめそうせき)の句碑があることをご存知ですか?
夏目漱石と修善寺にはどのようなゆかりがあるのでしょうか?

夏目漱石といえば『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』などの作品の他、ひとつ前の千円札の顔としても馴染みがありますね。
帝国大学(現在の東京大学)・大学院入学やイギリス留学、大学教授などエリートの道を歩んでいるように見えます。しかし里子、養子など経て、実家の夏目家に復籍するなど、少々複雑な幼少〜青年時代を過ごし、また漱石が恋心を抱いていたという兄嫁の登志は若くして亡くなったり、養父から金を無心にされたりなど、私生活の方は必ずしも順風満帆とはいかなかったようです。

このような複雑な生い立ちのせいか、漱石が生まれもった繊細さのせいかわかりませんが、帝国大学入学のころから厭世主義、神経衰弱に陥りはじめたとも言われています。

明治37年(1904年)親交のあった高浜虚子(たかはまきょし)の勧めもあって、精神衰弱を和らげるため処女作になる『吾輩は猫である』を執筆します。その後『倫敦塔』『坊っちゃん』と立て続けに作品を発表し、人気作家としての地位を固めていきます。
当時の漱石の作品は世俗を忘れ、人生をゆったりと眺めようとしており、余裕派とよばれていました。

その後、神経衰弱や胃病に苦しみながらも職業作家として歩み始め、『三四郎』や『それから』などを執筆していきます。しかし明治43年(1910年)、『門』執筆の途中に胃潰瘍で入院します。
同年8月、漱石は転地療養に期待し修善寺温泉菊屋旅館に滞在しましたが、病状は悪化の一途を辿り、一時危篤状態に陥りました。これが「修善寺大患」と呼ばれる事件ですが、9月も初旬になると少しずつ快方に向い、10月には帰京できるまでに回復しました。
生死を彷徨ったこの体験が漱石の心に転機をもたらし、以後の作品(『彼岸過迄』『こゝろ』『道草』など)に大きな影響を与えたのではないかといわれています。

吉田絃二郎の愛した修善寺

“修善寺から大仁行きの馬車は互いに「さようなら」「御機嫌克う」と挨拶が交わされて鈴を鳴らしながら出発する。”
吉田絃二郎(よしだげんじろう)は小説から随筆、評論、児童文学、戯曲と幅広い分野で活躍しました。絃二郎の236冊に及ぶ作品の中には修善寺を記したものが少なくないが、『修善寺行』もそのひとつです。
旅を愛し、修善寺の山や川に親しみ、大正5年頃から他界する昭和31年(1956年)まで毎年長逗留することが多く、修善寺をこよなく愛した作家といわれています。そして、42歳で早逝した妻明枝と絃二郎の分骨による墓碑が修善寺を見渡せる鹿山にあります。

井伏鱒二と桂川

『山椒魚』などで知られる井伏鱒二(いぶせますじ)は釣り好きだったらしく、修善寺の桂川でよく釣りをしていたと言われています。
また『修善寺の桂川』という作品も残っています。

その他の修善寺とゆかりのある文豪と作品
その他の修善寺とゆかりのある文豪と作品
  • 芥川龍之介
    短編『温泉だより』 『新曲修善寺』
  • 尾崎紅葉
    長編『金色夜叉』を執筆・・・尾崎紅葉の句碑が修善寺梅林にある
  • 泉鏡花
    『斧琴菊』 『奥の院にて』 『半島一奇抄』
  • 島木健作
    『赤蛙』・・・赤蛙公園の名前の由来になった
  • 島崎藤村
    『伊豆の旅』
  • 田山花袋
    『北伊豆』 『南伊豆』
  • 川端康成
    『伊豆温泉記』
修善寺を訪れた・逗留したといわれる時期とその文豪たち
明治32年(1899年) 豆相鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)
南条駅(現在の伊豆長岡駅)〜大仁駅間開業
明治34年(1901年) 尾崎紅葉
明治41年(1908年) 岡本綺堂
明治42年(1909年) 島崎藤村、田山花袋
明治43年(1910年) 夏目漱石
大正05年(1916年)頃〜
昭和31年(1956年)頃
吉田絃二郎
大正07年(1918年) 川端康成
大正13年(1924年) 豆相鉄道 大仁駅〜修善寺駅間開業
大正14年(1925年) 芥川龍之介、泉鏡花
昭和03年(1928年) 泉鏡花
昭和19年(1944年) 島木健作
昭和28年(1953年) 高濱虚子
昭和30年(1955年)頃 井伏鱒二

上記の他の時期や、他の文豪について調べて、自分で文豪たちの軌跡を辿るのも楽しいかもしれませんね。

 
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